しまじゃむ×俳句

島渡る音の波 Shima Jam 2015
俳句コンテスト 結果発表

『島渡る音の波 Shima Jam 2015』の開催にあわせて行われた俳句コンテスト
「島」「音」「波」「瀬戸」何れかの語を含む
オリジナルの俳句というテーマのもと
多くのみなさまから素敵な作品をご応募いただきました。
ここに、入選作品を神野紗希さんの選評とともに発表いたします。

しまじゃむ×俳句 選考結果    神野紗希 選

【最優秀賞】

朝顔のなか星ひとつほろぶ音    鈴木加成太(大阪)

「小さな朝顔の花の中から、巨大な星がほろぶ音が聞こえた、という幻想的な俳句です。小さいものと大きなものが、ダイナミックに融合されています。朝顔が咲き始める明け方の暗い空に、どこか遠くの星が最後に放った光が瞬いているとしたら……宇宙のはるけさが思われます。星のほろぶ音は、私たちには聞こえない音ですが、耳を澄ませることで、朝顔のひらく音も、星のほろぶ音も、心の中に響いているような気がしてきませんか。今日、みなさんは、どんな音を見つけるでしょうか。音楽に、波音に、耳を澄ませて、心の中に響き続ける音を見つけてください。


【優秀賞】

すぐそこに虹の足ある瀬戸の浜    中根すみか(東京)

雨上りに出た虹の根っこが、すぐそこに、掴めそうなくらいにはっきりと見えている、という嬉しい風景です。瀬戸内の浜辺というのは、そんな素敵な場所なのだなあ、という実感がこもっています。瀬戸内の海は、波も穏やかで、色も優しくて、日ざしも柔らかくて、本当にゆたかな時間が流れています。その瀬戸内にただよう幸福感を、虹という奇跡を通して詠み上げました。

島時間1オクターブ上の夏    栗田大愛(愛媛)

「1オクターブ上」というのは高い音のことですから、「1オクターブ上の夏」という表現からは、いつもよりもテンションが上がって、楽しくってたまらない夏の気分が伝わってきます。島という、普段とは違う特別な時間の流れの中にいるからこそ、胸が高鳴り、声も自然と高くなるのです。作者の大愛さんはなんと、小学生俳人。Shima jamで、まさに「1オクターブ上」の「島時間」を過ごしている、ここにいるみなさんへの、素敵な挨拶の気持ちのこもった俳句です。


【入選】

瀬戸の虹かけるフォルンの蝸牛    とよチャン(沖縄)

童心にかえったようなロマンあふれる句です。フォルンは、楽器のホルンのこと。蝸牛の背負っている貝って、いわれてみれば、フォルンの形に似ていますね。その蝸牛のフォルンから溢れた音楽が、大きな輝きとなって、瀬戸内の島々に次々虹をかけていくような、幻想的なイメージが生まれます。

夫婦岩砕く秋波ROCK FES    大洋太郎(茨城)

岩とはいえ、夫婦の関係を砕かんと秋の波が轟いているという不穏な場面ですが、それもまた「ROCK」なのだといわれれば、さもありなん。「秋波」は、色っぽい女性の視線のことを表現する際に寛容的に使われる語でもありますから、夫婦岩を砕くのは、間に入ってきた秋波=女、なのかも。なにせ、この句のリズムがいいですね。「ROCK FES」という語感が、俳句をバシッと締めています。

島の子を飛び越してゆくつばめかな    脇々(愛媛)

元気な島の子たちを、さらに飛び越してゆく、元気なつばめ。空高く舞う燕を指差し仰ぐ島の子の表情が、俯瞰した燕の視点で見えてきます。「飛び越してゆく」というゆったりとした詠みぶりで、燕の伸びやかな飛び方まで感じられますね。溌剌とした一句です。

コスモスや鯨の連れし白き波    さやん(愛媛)

岩とはいえ、夫婦の関係を砕かんと秋の波が轟いているという不穏な場面ですが、それもまた「ROCK」なのだといわれれば、さもありなん。「秋波」は、色っぽい女性の視線のことを表現する際に寛容的に使われる語でもありますから、夫婦岩を砕くのは、間に入ってきた秋波=女、なのかも。なにせ、この句のリズムがいいですね。「ROCK FES」という語感が、俳句をバシッと締めています。

秋の蝶音楽祭の島を過ぐ    樫本由貴(広島)

音楽祭が開催されている賑やかな島を、通り過ぎてゆくだけの秋の蝶は、どこか寂しげです。でも、音楽祭の島を過ぎてゆくのは、秋蝶だけではありません。集まってきたアーティストも観客も、イベントが終わればそれぞれの暮らしへ帰ります。その日奏でられた音の一粒一粒もまた、海の上へと出ていって、二度とは戻って来ません。秋の蝶は、そうした者たちの代表として、この句を過ぎっているのです。さて、Shima jamの会場で、秋蝶の姿を見かけた方、いませんか?

突堤に波は剥き出し秋の声    門田なぎさ(愛媛)

確かに、波は何かに包まれているわけではないのですが、改めて「波は剥き出し」といわれると、打ち寄せては砕け散る波が、捨て身でいじらしく思えてくるから不思議です。突堤という場所だからこそ、波がぶつかって、「剥き出し」感が際立つのでしょうね。「秋の声」は、秋になった気配のことを指す、感覚的な季語です。波の轟きが、秋の響きを帯び、夏が完全に過ぎ去ってしまったことを、静かに告げています。

朱肉入れ秋夕焼けの島のごと    渡部ひとみ(愛媛)

楽しい比喩です。この句と出会った後には、うちにある何の変哲もない朱肉入れが、秋夕焼けに染まった瀬戸内の島のように見えてきます。俳句の何がすごいって、世界を変える力があることですが、世界を変えるっていうのは、ヒーローが登場するとか隕石から地球が救われるとかいったことではなくて、朱肉入れが秋夕焼けの島に見えたりするような、ほんの些細なことなのです。でも、その些細なことが、人生の場面場面で、私たちを案外ふかく慰めてくれるものです。

波の影渚へ迫り小鳥来る    三島ちとせ(北海道)

「小鳥来る」は秋の季語。波が渚へ迫るのではなく、「波の影」としたところに、夏とは違う、秋の昏さを感じます。「迫り」というのも、どこか焦燥感がありますね。渚へ迫る波の影、秋はどんどん浜の姿を寂しくしてゆくけれど、そこへ小鳥が海を渡ってきて、渚をひととき賑やかにしてくれる。移り行く季節をとどめられない焦燥と、そんな季節に小鳥が来てくれたことの喜びとが、波打ち際の繊細な描写によって、余すところなく表現されています。

天高しステージ揺らす音の塊    石橋沙代子(広島)

「天高し」という秋の爽快な季語が、どこまでも突き抜けてゆく音楽の力を増幅させてゆきます。季語の力を推進力として、迫力あるステージを句の中に再現しました。「音」という実体のないものを「塊」と表現したのも、ライブ会場の音楽が身体に響いてくる物質感覚を、ズーンと伝えてくれます。

海渡り波の音消す強い声    松林聡(愛媛)

海の波音を消すほどの強い声とは、どんな声なのでしょうか。Shima jamの歌声かもしれないし、誰かへの愛の告白かもしれないし、失った人への鎮魂の叫びかもしれません。広い海に負けないほどの思いの強さが、この人の心の内から溢れている、その熱量に圧倒されました。季語はない俳句ですが、この強い声を発したあとの沈黙は、俳句ならではの深さで読む者の心に迫ってきます。

>> 公演の模様は Shima Jam オフィシャルサイト をご覧ください